セレンディピティの洞窟

ふと浮かび上がった仮説のメモ

完璧な演奏について

関ジャニ∞のテレビ番組で、ピアノ対決とカラオケのスコア対決の2本柱にした特番みたいのが面白そうだったので、視聴してみた。実際、面白くて見続けてしまった。

 

ピアノ対決は、昔のゲーム「ビートマニア」を彷彿とさせた。降ってくるマークの通りに鍵盤をたたいて、いちばんミスが少ない人が優勝というもの。カラオケ対決も採点方法はだいたい一緒。決めれられた音程に忠実に歌えたり、声量、ビブラート、こぶしなどの加点ポイントで得点が決まる。

 

ここで優勝した人は、視聴者から「すごい」という評価を持ってもらえる。実際、私もすごいと感じた。楽譜に忠実に演奏したり歌ったりできるのは素晴らしいことだ。かなり練習しなければできないだろう。どんなに練習しても、できない人だっているのだ。

 

ただ、忠実な演奏をするだけなら、機械に任せればいい。そんな野暮なことが頭の中をよぎった。プロ・アーティストとしての価値は、完璧な演奏をすることよりも、視聴者に感動を与えることである。たしかに感動を与えるためには完璧な演奏も必要だ。でも心が動かされない演奏をするプロは、プロ失格だろう。

 

相手に感動を与えることよりも、自分の演奏を完璧にすることを目的にした時点で、それは趣味の領域となる。だから器用貧乏よろしく、大成しづらい。

 

単に「忠実な演奏をした」という感動だけでは弱いのだ。楽譜に忠実に演奏できる能力があるのなら、プロミュージシャンとして活躍できそうなもの。カラオケのスコア争いよりも、アーティストのバックで演奏したり、コーラスしたほうが、視聴者の感動を得られそうな気もするのだが、どうだろう。