セレンディピティの洞窟

ふと浮かび上がった仮説のメモ

馬を川の前まで連れて行くことはきても、水を飲ませることはできない

Kiroroの曲を久しぶりに聞いた。たぶん20年ぐらい前の曲。当時リアルタイムで耳にしていたときは、「素朴な顔をした沖縄の女性が歌ってるバラード」ぐらいにしか思っていなかった。
 
いま聴いてみると、とてつもない声の持つボーカルの安定した歌唱力に驚いた。そして今になって彼女の歌詞が私の心に刺さった。あの頃から、こんなにやさしく歌っていたのかと、今さらながらに気付かされた。
 
曲としては知っていても、よっぽど好きでなければ、歌そのものや歌詞などをじっくりと聴く機会はない。ふと時間が経ってから、以前から何となく知っていたはずの楽曲を、偶然再会したタイミングで「刺さる」ことがある。今回のKiroroがこのパターンだった。
 
名曲はずっとあって、それが名曲だとわかるタイミングは人それぞれなのだ。私の場合、人に勧められたり、なんとなく流れてるときにはピンと来なかった。でも、「その時」が来ると名曲であることが理解できる。話題になった理由が今ではわかる。

 

「馬を川の前まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」

 

むかしの格言のようだが、誰のものかはわからない。でもなぜかこのフレーズだけは覚えていた。水を飲むかどうかは馬が決めること。すなわち、すすめられても楽しむかどうかは本人次第というわけだ。

 

私はこれまで幾度となく、いろんな人に川へ連れて行ってもらい、ほとりで水を勧められた。しかし水を飲むことは稀だったし、試しに飲んでも心からうまいと感じることはなかった。

 

ところが、かなり時間が経ってから自分の足で偶然その川にたどり着いたとき、そこで飲んだ水のうまさは格別だった。

 

他人にすべてを委ねてしまっては楽しめない。自分の力で探し当てるからこそ、楽しいのだ。この法則を知ってからというもの、自分の心の内なる声を聞き、いまの気分に沿った行動を心がけている。